10.蓮




ドアを開けて覗いているのは、すらりとした1年生だった。
祥太郎は彼を見て、目を見張った。

「あれ、松本君…?」
「何しにきたんだよ、蓮!」

祥太郎より、ナツメの反応の方が過敏だった。叫ぶような声に、蓮がピクリと震える。

「みんなに聞いたらここだって言うから…。ナツメ、そろそろ帰ろうよ。」
「俺は一人で帰るって言ってるだろう! おまえは高校生にもなって何で一人で帰れないんだよ!」
「か…帰れないわけじゃないよ。でも…。」

蓮は祥太郎のほうを見て、哀しげに目をしばたたかせた。
祥太郎にとっては蓮もナツメも同じクラスの教え子だ。その彼がシュンとしているのがいたたまれなくて、思わず声をかけていた。

「松本君、せっかく来てくれたんだから入って。ちょっとお話していかない?」
「そ…そうだよ。今お茶入れてあげる。」

白雪が弾かれたように動き出す。
蓮は驚いたように顔を上げたが、ナツメは納得いかないようだった。

「白雪先輩! コイツのことはどうでもいいっすよ! もう帰るって言ってるんだし!」
「うるせー、ピヨ、黙っとけ。」
「だっ、だから俺はピヨじゃねーって…!」

「茶ァ飲んでいくよな、松本。会長手ずから入れてくれるの、断るなんて、勇気いるぜ?」
「あ…あの。」
「さあさあ、とりあえずまあ、座って座って。」

祥太郎は蓮の腕を引いて、自分の隣に座らせた。
祥太郎を挟んでナツメと隣り合った蓮は、居心地悪そうに肩を竦めた。すかさず白雪が蓮の前にカップを置く。
がっちり拘束された形になって、蓮は細いため息をついた。

「さあ、どうぞ。高見君の入れてくれるアップルティーは本格的なんだよ。ちゃんとりんごの皮を使ってるんだから。」
「あ…本当だ。いい香りがします。」

蓮はカップを口元に運んで目を細めた。
相変わらず長いまつげが印象的だ。

「ナツメ君と松本君は、仲良しみたいだけど、中等部からのお知り合い?」
「けっ、別に仲良しじゃないっすよ。」

跳ね返るようなナツメの返事に、蓮の動きが一瞬止まる。ややあって、カップが静かに下ろされた。

「僕とナツメは、家が近所なので、子供の頃からの友達です。でも、僕はここの持ち上がりで、ナツメは今までは他の学校に行っていたんです。
初めて一緒の学校に行けることになったので、僕は嬉しくて…。」
「だぁから! 友達じゃねーって言ってるだろ!」

「ピヨ、うるせーよ。お前ちょっと松本に邪険過ぎ。」
「なっ、なんだよ!」
「そうだよ、ピヨ君。お友達じゃないなら、そこまでいちいち反応することないじゃない。
なんか理由があるならともかく、君の言動、ちょっと変だよ。」
「ああっ、白雪先輩までピヨって言ったぁ!」

ナツメは大きな身振りで抗議する。祥太郎はそんなナツメを見上げて、不自然に思った。
あだ名にかこつけて、話題を摩り替えている。蓮と自分との関係になるべく言及されないよう、ナツメは意識的に話題の方向を操作しているようだった。

そのことは隼人と白雪にも伝わったらしい。二人は顔を見合わせると、もうその話題には触れなかった。
後は本当にたわいないおしゃべりで時間が過ぎていく。

やがて、蓮がそっと立ち上がった。目の前のカップはきれいに干されている。

「あの…、それじゃ僕、そろそろ帰ります。ナツメは…?」
「一人で帰れるって言ってるだろ!」
「あ、あのね、ピヨ君は祥太郎先生がお気に入りでよく遊びに来るんだから、蓮君も来てくれたらいい。いつでも歓迎するよ。」
「ただし、役員として…だな。ピヨもおいおい役員になるしな。」
「えっ、なに決めてんだよ!」

祥太郎はちょっぴり呆れながら隼人と白雪を見上げた。
生徒会の新メンバーに困窮している二人は、ちゃっかり遊びに来る二人を勧誘することに決めたらしい。

蓮は戸惑った表情でナツメを見下ろした。

「ナツメは…どうするの?」
「役員なんかやんねーよ、面倒くさい! でも、これからも祥太郎先生には会いにくるけどね。」
「………そう。」

蓮は寂しげな表情をすると、きちんとしたお辞儀をした。
それきりで生徒会役員には、なるともならないとも言わなかった。

祥太郎は、その背の高い後姿を、漫然と見送るしかできなかった。





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